みなさんこんにちわ!ヨクナル編集部です。
ついこの間、年が明けたと思ったら、…もう、1月も終わろうとしています!
いやぁ~よく聞くことですが、
本当に月日が経つのが年々早く感じてしまいます。
そして、明後日は2月!
今年は夏季オリンピック開催の年なので閏年。29日がありますよ〜!
さて、
身の回りを改めて見てみると、昔と今で伝わり方や楽しみ方が変わっている、そんなことがいくつかあります。
今回はそんな、時代とともに今まで当たり前だったものがだんだんと変化していることについて、
節分と、鬼つながりという事で桃太郎とを通して考えてみましょう!
最近の節分といえば…
ど定番の豆まきにも変化が…
節分に豆まきしてますか?
節分といえば、「鬼は外、福はうち〜!」の掛け声とともに、鬼に扮した人に向かって豆を投げて、鬼を追いはらい、福を招き入れる「豆まき」がポピュラーではないでしょうか。
小さい頃から慣れ親しんだ豆まきですが、
家庭環境・住環境の変化などで、最近は豆まいてない!なんて方も多いのではないかと思います。
豆をまく人にしても、あとあとの掃除の手間を考えて「おつまみのような小袋入りの豆を、袋のまま投げる」とか、
娘の通っていた幼稚園では、そもそも豆ではなく「殻に入った落花生を投げる」なんていうこともありましたよ…。
すっかり定着?恵方巻き
節分に恵方巻きを食べますか?ちなみに2020年。今年の恵方は「西南西」です。
ここ数年すっかり定着したような印象があるのは「恵方巻き」ですね。
その年の恵方(ちなみに2020年、今年の恵方は「西南西」とのことです)に向かって一言も発せずに太巻きを丸かぶりする…なんとも不思議な風習です。わたしは昔からの馴染みはありませんでしたが、読者の皆様はいかがですか?

そういえば、ライブウェル株式会社の社員食堂PecoPecoでも、2018年に季節メニューとして「恵方巻き善」の提供をしたことがありました。
風物詩としての定着の裏で、
食品業界が先導し盛り上げまくった「恵方巻」の、自業自得とも取れる「食品ロス」が問題として話題になっています。
農林水産省から、恵方巻きなど季節商品について食品ロスの削減に関する呼びかけがあるというのもなかなかのことと思います。
3.食品小売業者、消費者の皆さんへのお願い
令和元年10月に「食品ロスの削減の推進に関する法律」が施行され、食品ロスの削減に関する消費者の意識・関心が更に高まりつつあります。
消費者の皆様には、恵方巻きをきっかけに、食品ロス削減に取り組む企業やその取組を知って、応援、後押しをお願いいたします。出典:農林水産省Webサイト(https://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/kankyoi/200117.html)
元々は「切らない太巻きを恵方を向いて丸かぶりして食べると幸運が訪れる」…というものが、単に「太巻きを食べる」という行為だけが一人歩きし、スーパー等はここぞとばかりに大量に仕入れをするわけです。
当然日持ちもしない商品が多いですので、売れ残れば廃棄せざるを得ないですね。その対策として「予約購入」を促してはいますが、予約してまで…と言った意見が多いのも事実です。
また売る側としては何とか客単価を上げたいので、普段巻き物には使わないであろう高級食材を詰め込み、
中には海苔の代わりに金箔を巻いたりして、1本数千円という商品もある一方、
焼肉やとんかつ、エビフライ等を巻いたり、中巻き(ちゅうまき)や細巻き、さらには巻き物つながりでロールケーキもドサクサに紛れて売るわけですから、
先程も言ったように「食べる」行為だけの変わったお祭りになっているのは考えさせられますね。
土佐日記にも登場する「柊鰯」
節分に鰯を食べますか?
そうそう、節分と言えば「柊鰯(ひいらぎいわし)」の風習はご存知ですか?
柊(ひいらぎ)の葉のその棘が鬼の目を刺し、鰯を焼いた煙を鬼が嫌がり近づかないと言った魔除けとして行われる習わしです。
なので、節分前のスーパーには恵方巻きと共に鰯関連の商品が並ぶのです。
他にも節分にまつわる行事や習わしは全国で色々なものが存在し、調べると興味深いものがたくさんありました。
そういった事で季節を感じ、また無病息災を願ったりする事自体は忘れたくないですね。
鬼退治といえば、桃太郎!
桃太郎ってこんな話?…
鬼の話で思い出したのですが、先日夕食をとっていたら、
幼児教育の勉強で大学に通う娘が、絵本を100冊読んでそれぞれに考察レポートを作るといった課題が出されたそうで、
その読んだ絵本の中に「桃太郎」があり、おもむろに私に向かって「パパ、桃太郎がどうして鬼ヶ島に行ったか知ってる?」と聞いてきました。
私の記憶では、「村で悪さをしていた鬼を懲らしめるために鬼ヶ島に行った」程度しか憶えておらず、最後にどうなったかの記憶も曖昧でした。
すると娘は、「お姫様を助けて、最後に結婚するんだよ!」と、
目から鱗、鼻から鼻水、まるでRPGのような事を言ってきました。ビックリしながらも、「そっかぁ~、時代で童話も変わって行くんだねぇ~」なんて呑気な返事をしたのでした。
表現が時代に合わないという事が起こる?!
確かに、例えば「さるかに合戦」が「合戦」という言葉が時代にそぐわないという理由で「さるかにばなし」に変わっているという事も聞いたことがあり、
コンプライアンスがしきりに騒がれる現代ではリスクヘッジや教育という旗の下、当たり前だと思っていた話やしきたりも時代に合わせて変化していくんだなと実感したのでした。
そこで少し「桃太郎」について調べてみたところ、私が今まで知っている桃太郎像が崩壊するような、いわゆる「アナザーサイド桃太郎」が次々に出てきました!
読者の皆さんの記憶にある桃太郎を思い出してから、ぜひご覧ください。↓
桃太郎は川から流れて来た桃から産まれたのでは無かった!
お話では、芝刈りから帰ってきたおじいさんが、若返ったおばあさんを見てビックリする!ということらしいです…そりゃびっくりします…。
まず、桃太郎は川から流れて来た桃から産まれたのでは無かった!というお話。
諸説ある中、時代は室町から江戸初期からのお話らしいのですが、当初は川から流れて来た桃を食べた老夫婦がその力で若返り、子作りをした結果産まれたのが桃太郎だというのです。←コレ、一番の衝撃!
これはどうやら日本神話で桃が邪気を払い不老不死の力を与える「霊薬」である果実だというところから関連されたらしいのですが、
子作りが出来るくらい若返らせる桃の話もかなりメルヘンですよね。
それが明治以降、子供に聞かせるのはどうか?という意見があり桃から産まれた~に変化したそうです。
Youは何しに鬼ヶ島へ?
悪さをしていた鬼を退治に…?ですよね…。
また、私の記憶の「村で悪さをした鬼を懲らしめるため~」も、体力自慢の桃太郎が自分の腕だめしのためにどうしても鬼と戦ってみたく、居ても立ってもいられず反対するおじいさんとおばあさんの言う事を聞かずに鬼ヶ島に旅立ったという、超自己中な話もありました!…これは鬼もいい迷惑です…。
スーパーマリオみたいなオチ
お姫様を助けてめでたしめでたし、っていうのもいいですね。
話の結末をとっても、宝は持ち帰らず、お姫様を助けて結婚した〜というものから、
逆にお姫様なんていなくて、宝を持ち帰りおじいさんとおばあさんと幸せに暮らした~とか、
いや、宝は村人達に返した~とか。
かの福沢諭吉は元々鬼が所有していた宝を奪い取った桃太郎は盗っ人だ!と非難しているなど、もう「ホントは何なのよ~~~」と言いたくなる話が次から次に出てきました。
松井直さんの「ももたろう」をご紹介します
先程のお姫様を助けて結婚するお話は、近年のアレンジものではなく1965年に出版された松井直さんという作家が出したオリジナルストーリーの「ももたろう」で50年以上も前のものだという事が判りました。
とすれば、実際私が目にしていてもおかしくないのですが、どういうわけかこのストーリーには触れないできたのか、
それとも私の記憶が抜けているのか。曖昧なものですね(笑)
ここで、この松井さんの本で私の知っている事と違う箇所を紹介しますね。
●桃が流れてくる擬音が「どんぶらこ」ではなく「つんぶく、かんぶく」。
●流れて来た桃が「大きな」ではなく「うまい」桃。
●村での鬼の悪事や姫をさらった事を伝えたのは「カラス」。
●鬼ヶ島に行くという桃太郎をおじいさんとおばあさんは「まだ子供だから勝てない」とたしなめる。…が、根気に負けて送り出す。
●桃太郎が犬、猿、キジをまとめて「4人」と言う。
●鬼が案外弱くあっさり負ける。
●鬼が宝物を差し出すと、「宝はいらん、お姫様を返せ」と言う。…鬼、素直に応じる。
●何故かお姫様をお嫁にもらう。
【出典】※福音館書店「ももたろう」まついただし(文) あかばすえきち(絵)より
なんだか面白いでしょう?!
おそらくこの本の他にも色々な「桃太郎」があるのだと思います。
その中には前記した「コンプライアンス」に沿って、犬、猿、キジは「家来」ではなく主従関係の無い「同等」の扱いで、鬼ヶ島に行く船を漕ぐのも「交代しながらみんなで」というものもあるそうです。
そんな「コンプライアンス遵守」のストーリーを当たり前のように読み聞きした若い世代の人は、
どのように社会の波を渡って行くのか興味深いとともに、私自身もどう接して行けば良いのか考えなければいけませんね。
時代とともに移り変わる事象を、いつの間にか受け入れて暮らしている
哲学的なまとめタイトルになってしまいました(笑)
今回は、節分と桃太郎のお話を通して、
今と昔で伝わり方や楽しみ方が変わっている、そんなことをピックアップしてみました。
時代とともに、今まで当たり前だったものがだんだんと変化していることを、私たちは気がつかないうちに受け入れて普通に暮らしているのものです。
身の回りに目を向けて、調べ直してみると新たな発見があったりして、
何気ない毎日も少し「ヨクナル」気がしませんか?