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母の割烹着と歌合戦

この物語は、まだ平成の声も聞かない昭和50年代のある家庭の年末のよくある話である。

団地セピアイメージ
朝6時過ぎには家を出て帰宅が夜8時か9時、現在のように週休二日が当たり前でなく、休みは日曜日のみのサラリーマンである父、輝夫。
料理が得意で、花が大好き、ゴールの見えない友人とのおしゃべりの時は近所に聞こえる程の大声で毎日笑顔の母、民代。
そして学年が2つずつ離れ、おそらく意外と仲の良い(と思われる)亮、記広、崇の全員丸坊主の男3兄弟。
毎年家族で行われるクリスマスパーティを終えると、恐怖の通信簿にドキドキしながら2学期が幕を閉じる。
街はどこもかしこもお正月準備の雰囲気が高まり、テレビのCMも年末感を煽るものが目についてくるそんな冬休みの始まり、
この家族にはクリスマスを超えるイベントが待ち構えている。
そう、一家総出の「大掃除」である。
一般には鬼宿日と言われる12月13日に行うのが良いとされているらしいのだが、
その後にクリスマスとなるとそうもいかず、子供達が冬休みに入り、
父、輝夫が年末年始の休暇に入れる大体27日頃からそれは本格化する。
大掃除にはそれぞれ分担する役割が決まっていて、輝男は風呂やトイレ、洗面所などの水廻り。3兄弟は窓や網戸、戸棚の整理や茶箪笥のガラス拭き。そしてもちろん自分達の机の片付け。民代はそれらを監督のように指示をしながら、おせち料理の支度を淡々と始める。
子供達は母監督に良いところを見せようと、曇る箇所が少しも残らないようにガラスを磨き上げては、「どう?こんなにキレイになったよ!見て!」と言って、監督にアピールをする。まるで、年明けに早々に公開される年棒査定を気にするかのように。
そんな大掃除デイズは大概、30日には終わりを迎える。玄関を掃き終わり一夜飾りを避けるためしめ飾りを付けると、翌31日の大晦日は、仕上げの拭き掃除と、お節の最終段階のみを午前中で終える。

なぜか?

 

 

民代は美容院に行き小綺麗にしてもらい、輝男と3兄弟は風呂に入り身を清め、下ろし立ての下着とパジャマに着替え、一家揃って夕方からのレコード大賞、紅白歌合戦、そしてゆく年くる年を1台しかないテレビで観るという「儀式」があるからだ。
誰が新人賞を獲るのかをワクワクしながら期待し、その新人賞を獲ったアイドルが紅白歌合戦のオープニングにきちんと居る事に「どうやってNHKまで行ったんだ?」と不思議がり、紅白の為に特別に仕立てた衣装の華やかさに驚き、テレビガイドを見ながら紅白の採点をする。年越しそばは紅白の途中で挟まれるニュースの時間だ。エンディングでリボンの付いた指揮棒に合わせ蛍の光を歌うその年の流行歌手の笑顔を見ながらやがて年明けが近づく11時45分、どの民放局でも同じ除夜の鐘が映され、おもむろにチャンネルをガチャガチャする。

歌合戦セピアイメージ

そう、この夕方からの一連の流れを「堪能」する為に、大掃除を済ませ、身体を清めるのだ。
子供達はもちろん新しい年の年神様を迎える為だという話は民代から聞いている。
例えば、夜に口笛を吹くと蛇が出るとか、火遊びをするとおねしょをするとか、根拠もよく分からない言い伝えが非常にぼんやりしたしつけなのと同じように、この年神様も子供達は「?」の一つでしかなかったが、それよりもその「堪能」の為と思わせて半ば強制的に儀式をさせていた民代は、なかなかの頭脳的監督だったのではなかろうか。
まして毎年同じようにこの年末の行為をしていると、「しない」事が気持ちが悪くてしょうがなくなり、年を重ね何かしらの理由でこれをやらずに新年を迎えてしまうと、何か罪悪感のようなものまで生まれてくるから不思議なものだ。

年越しそばセピアイメージ
そんな長男の亮も今や所帯を持ち20数年、その子供達にも同じようにこの伝統を継承したいと思うのだが、
肝心のレコ大は放送日が変わり、紅白の「特別感」も時代と共に薄れ、興味があるのはお笑いの長時間番組か年越しカウントダウンライブ。今や家にテレビが2~3台あるのが当たり前の状況で一家でその「儀式」をする意味を上手く伝える事が出来ずにいる。
輝夫と民代も70代になり相変わらず口は元気なものの、思うように体も動かなくなると年末恒例儀式も億劫になるのは当然で、ましてや3兄弟も40代後半になった今、あの頃のような年末はもう過ごせないと思うと、なんだか寂しいような切ないような気持ちにもなる。
黒豆だけは今でも自分で煮ないと年が越せないと言う母のためにせめて掃除だけは業者にでも頼んで、あの頃気持ちよく迎えた大晦日を「堪能」してもらおうか。

なぁ、母さん。